書籍

なんしょんな!!香川・PARTT
なんしょんな!!香川・PARTT
「行政の役割」水は誰のものか/人の渡らぬ橋、車の走らぬ道/広い家 他
1,200円(税込み)
有料会員のみ閲覧できます
なんしょんな!!香川・PARTU
なんしょんな!!香川・PARTU
「高齢者対策の処方箋」
1,200円(税込み)
有料会員のみ閲覧できます
なんしょんな!!香川・PARTV
なんしょんな!!香川・PARTV
「教育の危機」学校教育の危機/崩壊する家庭教育/的外れの企業内教育
1,200円+税
有料会員のみ閲覧できます
なんしょんな!!香川・Q&A BOOK
なんしょんな!!香川・Q&A BOOK
「Q&A」行政の役割/水問題/交通問題/時事
800円(税込み)
なんしょんな!!香川・Q&A BOOKU
なんしょんな!!香川・Q&A BOOKU
この本は、都村長生氏の政経塾「長生塾」とそのホームページに寄せられた質問に対し、都村氏が答えた内容をまとめたものです
800円+税
なんしょんな!!香川・Q&A BOOKV
なんしょんな!!香川・Q&A BOOKV
この本は、当ホームページに寄せられた質問に対し、都村氏が答えた内容をまとめたものです。
100円+税
なんしょんな!!香川・Q&A BOOKW
なんしょんな!!香川・Q&A BOOKW
この本は、当ホームページに寄せられた質問(2003年5月〜2007年3月)に対し、都村氏が答えた内容をまとめたものです。
100円+税
なんしょんな!!香川・Q&A BOOKX
なんしょんな!!香川・Q&A BOOKX
この本は、当ホームページに寄せられた質問(2007年5月〜2008年12月)に対し、都村氏が答えた内容をまとめたものです。
100円+税

POST長生塾スタートのお知らせ

なんしょんな Q&A詳細

  • 【170】 (3)成長分野とはどういうものか(2010年1月20日) (高松市・会社員)
     民主党政権が4ヵ月を過ぎて、政策的にもいろいろ慌ただしく動いているようです(何か問題ばかり浮かび上がっているように見えますが)。ここのところ民主党政権に関するQ&Aがたくさん出てきていますが、ここまでの動きを見て都村さんが新たに感じていることがありましたらぜひお聞かせ下さい。
  •  民主党政権になって4ヵ月も経つと、彼らが何をやろうとしているのかが皆さんにも少しずつわかって来たのではないでしょうか。民主党政権に対して私は、大きく分けて「予算編成の仕組みを官僚主導から政治主導に変えること」と「投資(富の再配分)の優先順位を間違えないこと」の2点を期待していることはすでにお話ししましたが(Q160162164165参照)、とりあえず予算編成のやり方はある程度変わってきているようですね。ただ、本当に変えられたかどうかはまだしばらく見てみないとわからないし、政治主導に見えて実は裏で財務省に操られていたのかもしれない…そのあたりが1年後の決算委員会(これが全く機能していないことも大問題なのですが)を待たないとよくわからないので自信を持って大丈夫だとは言えないのですが、いずれにしろ「変えられるかもしれない」という兆しは見えてきた、といったところでしょうか。しかし、2点目の投資の優先順位については根本的に間違っている、もっと言えば「日本を破滅に向かわせている」としか思えない…というのが私の印象です。それはどういうことか?

    マニフェスト実現して国滅ぶ

     まず最初にビジネスでは「投資」についてどう考えるのかを簡単に整理しておきましょう。投資には短期的投資と中長期的投資があります。会社で言えば、短期的投資は「今年1年間で何をやるか、何にお金を使ってどんな成果を挙げるか」というPLベースの話です。そのために1年間の売上と経費予算を立てます。中長期的投資というのは5年、10年、20年…を見据えて「会社を将来的にどうするか、どういう事業でどんな成果を挙げていくか」というBSベースの話で、例えば工場建設とか新規事業を立ち上げるための投資がそれにあたります。中長期的投資はもちろん1年でリターンをとるものではなく、10年、20年をかけて回収しますので、その年度にお金が出ていったからといってその年のPL(経費予算)には載せず、BSに投資物件を資産計上します。

     一方、国の投資の場合も基本的な考え方は同じはずです。短期的には「今年度、何にお金を使ってどういう成果を挙げるか」という1年単位の経費予算計画であり、中長期的には「将来、日本をどういう国にしていくのか」というビジョンに基づいた投資になるはずです。ところが国の予算は単年度決算主義をとっていますからPLとBS勘定がごっちゃになって、中長期の投資勘定もPLに計上するルールになっています。つまり皆さんの家庭の現金出納帳方式(キャッシュ中心どんぶり勘定)が国の会計ルールとなっているのです。従って、今の国の予算方式では1年間の収支(どれだけ利益が出たか、私に言わせればどれだけ豊かになったか)が全くわからない仕組みになっています。加えてこの方式の最大の欠陥は、1年ごとに御破算にして翌年新たに次に進む方式ですから「20年後を見て、今年この分野に投資をし、20年間で回収しよう」という考え方が皆無なことです。今の日本は「中長期的にどういう国を目指すのか」が最も重要な局面にあるにもかかわらず、そういう予算システムになっていない。従って、政治家にも役人にもそういうメンタリティがない、また当然中長期的な投資の優先順位をきちんと判断する能力もない…まず、国の会計を複式簿記方式(ビジネスでは常識ですが)にすることから始めるべきなのですが、財務音痴の政治家でこのイシューが理解できる人が何人いるか?…詮方ないことです。その結果、必然的に1年1年の場当たり的対応になって長期的展望がなくても誰もおかしいと思わない…そのために政権欲しさに選挙でバラマキを約束してしまった民主党政権は今、知らず知らず日本をとんでもない方向に導きつつあるのではないか、つまりマニフェストは全部実現したが国が滅んでしまった、ということにならないか…というのが私が一番危惧していることなのです。では民主党政権のやろうとしていることの何がおかしいのか? 短期と中長期の話に分けて考えていきましょう。

    社会主義に向かっているのではないか

     ではまず、民主党の単年度の予算から見ていきましょう。どこがおかしいのか? これまでの自民党政権の投資は、大きく言えば公共事業、いわゆる「コンクリート」に投資してきたわけですね。それが結局「車の通らない高速道路、人の渡らない橋、水のたまらないダム」ばかり造ることになり、その間違いにようやく国民が気づいて政権交代が起こったと言えます。そこで民主党は今度「コンクリートから人へ」ということで、公共事業を抑えて子ども手当や高校の無料化、農家への所得保障等、要するに個人に直接お金を配ろうとし始めているわけです。では、これら「行政が個人にお金を配る」という「個人への投資」が毎年どんどん行われると、日本はどんな国になっていくのでしょうか?

     今、行政が個人にお金を配る大がかりなシステムとして「国民年金制度」があります。2009年の高齢化率(総人口に占める65歳以上の人口の比率)が22%強ですから、大ざっぱに言えば今の日本は「国民の22%を行政が面倒をみる」という社会になっているわけです。国民年金制度が始まった1961年以前の日本は「子供が親を養う」というカルチャーでしたから、高齢者の面倒を見るのは行政ではなく、各々の子供、家族でした。そこでは、ちゃんとした子供を育てた親は豊かな老後が得られ、いい加減な子供を育てると老後が惨めになるという、ある種の競争原理がきちんと働いていました。しかし年金制度の導入によって、親は一生懸命お金と手間暇をかけていい子供を育てようが、手抜きをして出来の悪い子供を育てようが、老後は同じように生活していける…という話になってきた。平等と言えば平等ですが、決して公平(フェア)ではない。これは根本的には自由競争社会の原理に反する方向に向かっていることになります。また、それが親の躾放棄や少子化の根本原因にもなっているというのも、以前から私が指摘していることです(『なんしょんな!香川PART2』、Q85少子化問題参照)。

     それに加えて、今度民主党がやろうとしている子ども手当や高校の無料化は老人に加え「子供も行政が面倒を見よう」という話に他なりません。対象となる18歳以下の人口は、国民全体の約25%。子ども手当は年間30万円くらい、公立高校の授業料は年間50万円くらいですから国民年金の支給額に比べるとまだ少ないのですが、ここでも新たに国民の25%を平等化しようとしているわけです。当然これも、子供に教育費や時間をかけてきちんと育てようとする人とそうでない人の差がなくなり、自由競争原理に反する動きになってきます。さらに、すべての農家(おそらく人口の10%くらい)への所得補償も始めようとしています。これも同様に、がんばって農業をやってもいい加減にやっても行政が面倒を見てくれるから競争原理が働かない方向に進む。さらにそのうち、おそらく他のビジネス分野でも低所得者層への補償の話も持ち上がってくる。加えて、国家公務員と地方公務員(おそらく人口の20%くらい)はすでに行政のお金で生活をしている…公務員が働いても働かなくても給与に差がつかない競争原理が働かない社会だということは、皆さん十分ご承知の通りです。

     すると、このまま行けば日本は80%以上の国民が何らかの行政のお金で生活をするという社会になるのではないですか? とすると、ここで根幹的に疑問が生じてきます。行政のお金はどこから来るのでしょう?…こう考えていくと、民主党が日本をどこに導こうとしているのか、その怖さが見えてきます。こうなると日本はもう自由主義社会ではなく、社会主義社会の国ではありませんか? ただし、国民全員が「社会主義に向かおう」と合意しているのならまだしも、先の総選挙でそんなことが合意されたとは社民党と共産党以外(崇々10%くらい)誰も思っていないのが問題なのです。日本は競争原理の働く民主主義型自由競争社会であり、それは国民大多数が認めているはずです。それが今、知らないうちに税金の大半を年寄りや子供や低所得者に回して全員平等な社会を目指そうとしている…これはどう考えても、ズルズルと社会主義社会に向かっているとしか思えません。しかも何の合意もなしに!

    人体実験はやめてくれ!

     もちろんそういう社会が成立する条件がないわけではありません。例えばよく比較されるスウェーデンやデンマークは税金の大半を弱者(日本の弱者と違って慎み深いですよ)に回しながら成立している国ですが、それは、そういう社会が成立する条件が揃っているからです。その条件とは、まず、ちゃんとした政治のリーダーがいること。次に、行政を監視するオンブズマンシステムがきちんと機能していること。そして、住民にきちんと考える能力があり、政治に対する参加意識が高いことです。スウェーデンやデンマークをはじめとするヨーロッパの国は中世からずっと「ちゃんとしたリーダーを選ばないと都市や国が滅んでしまう」という歴史を積み重ねてきたため、こうした条件がきちんと整っている(詳しくは『なんしょんな!香川PART2・P120〜参照』)。さらに加えて大切なことは、それらの国はきちんとした非常に厳しい競争社会を確保していることです。要するに、競争社会のビジネスで「弱者に配分する富をしっかり稼ぐ人がいる」ということです(軍事産業という成長産業もある)。そういう前提があって初めて、北欧型の社会が成り立っているわけです。しかし日本には、上記の条件は皆無ではありませんか。

     さらにもう一つ、これはまだ私は立証したことがありませんが、そういうある種平等な行き届いた社会が成立するためには「国が小さい」ということも条件になると思っています。スウェーデンの人口は約900万人、デンマークは約500万人(四国と同じくらい!)です。それくらいのこぢんまりした社会であれば、エリアやセグメントを切り分けて、例えばこのエリアは成長産業を中心とした競争社会で富を稼ぐ、その生み出された富で国民全体の豊かな生活と豊かな老後を保障する…というふうにきめ細かく効率よく国を運営することができそうな気がします。しかし、人口が1億人を超えるとなると、それが難しくなってきます。大きくなればなるほどあちこちで勝手な動きや思いが出てきて、中央で一括してマネジメントするのが非常に困難になってくるからです。こういう話はビジネスのセオリーに基づけばすぐ理解できます。会社にも最大サイズというものがあります。合併を繰り返して大きくなった企業は必ずと言っていいほど分裂して分社化に向かいます。企業の歴史が統合と分裂の繰り返しなのは、適正サイズを超えるとマネジメントできないからなのです。

     もし日本をそういうスタイルの(北欧型の)国にするのなら、地方分権を成熟させてある程度小さい独立したエリアで独自の行政が行われるような土壌を整えることが先決でしょう。その上で優秀なリーダーを選び、それを監視するシステムを作り、住民が高い政治参加意識を持ち、競争社会で富を生み…というふうに条件を整えれば、成立する可能性は出てくると思います。しかしそれは国民のカルチャーを変えるという話ですから、おそらく100年単位で時間のかかることです。欧州は中世から数百年かけて今の欧州型の社会を作ったのですよ。いずれにしろ、富を生み出す戦略もなく、民主主義を支える土壌も成熟せず、何の条件も揃わないままにただただ平等な社会に向かおうとするのは、社会主義国家を目指して人体実験をしているのに等しい。そんな社会主義国家の崩壊の歴史を我々は十分見てきたのではないですか? それではおかしくなるのは歴史の必然、火を見るより明らかだ、というのが私の印象です。

    成長分野がわかってない!

     次は中長期的投資の話に移りましょう。どこがおかしいのか? まず、あきれたことを指摘しておきます。昨年末に民主党は「新成長戦略」と称して「環境」「健康(医療・介護)」「観光」の3つを重点分野に挙げました。つまりこれらの分野が中長期的に「成長分野」でビジネスが伸びるということですが、私にはとても信じられない。これを聞いた時、私は開いた口がふさがりませんでした。

     まず「健康」の中に挙げられた「介護」ですが、介護ビジネスというのは成長するのですか? あるいは介護ビジネスを成長させるというのですか? 成長というのは、会社で言えば売上がどんどん上がり、利益が増えて事業が伸びていくことですね。では、介護ビジネスが成長するということは、要介護者がどんどん増えていくということになりませんか? 本来、国が目指すべきは「高齢者が健康で介護などいらなくなる社会」でしょう。「これからは介護政策を変えて、ノーマライゼーションを進めて多くの老人が残存能力を使って自分で動けるようにします。みんな介護のいらない老後を過ごせる社会を目指します」というのが、どう考えても健康な発想です。事実、高福祉国家のデンマークではそうした政策を進めた結果、寝たきり老人はほとんどいない。一方、日本では寝たきり老人が軽く百万人を超え、しかもどんどん増えている。これは国民病でも何でもなく、明らかに国の失政が原因です(『なんしょんな!香川PART2参照』)。つまり介護分野を成長させるということは「これからどんどん失政を重ねて要介護者を増やします」と言っているのと同じなのです。もうほとんど頭がおかしくなっているとしか思えません。

     さらに介護ビジネスは今、介護保険という税金で運営されているわけですが、要するに「普通に民間にやらせると赤字になるから税金で埋めている」という構図のビジネスです。もし税金を入れなくても利益が出るのなら、介護保険導入以前に民間ビジネスがどんどん入ってきて成長産業になっているはずですから。つまり、税金を入なければ成立しない産業というのはそもそも「成長産業」には成り得ないと知るべきです。もちろん将来的に大きく成長する産業を立ち上げるために一時的に税金を投入するという政策はある程度意義がありますが、先述したように介護ビジネスはどう考えても成長させるべき産業ではありません。そもそも税金で維持するしかない産業を伸ばしていくことは、投入する税金をどんどん増やしていくことになりはしませんか? 先ほどの話に返りますが、その税金は誰が稼ぐのでしょう? まったく「タコが自分の足を食っている」ような話ではありませんか?

     次に環境ビジネスも成長分野としては大きな疑問があります。環境ビジネスの中には確かに成長するであろう分野がありますが、全くナンセンスな分野もあり、現状はそれがごちゃ混ぜになって語られている状況だからです。例えばSOxやNOx、カドミウム等々の有毒物の抑制は、成長していく環境ビジネスです。つまり「水を汚してはいけない」「空気を汚してはいけない」という分野は我々が豊かになるために必要なのです。またビジネスの効率を上げる「省エネ」も成長させるべき分野でしょう。しかし、今、期待の星であるCO2削減というのは、私は未だによくわからない。私の頭の中で、理屈できちんと整理できないのです。そもそも「CO2が増えると地球が温暖化する」という因果関係をちゃんと説明した人がいないのですから。さらに、もし仮にその因果関係が証明されたとしても、「地球の温暖化がいけないのか」どうかもよくわからない(これも誰も数字で説明していない)。ちなみに、百歩譲ってCO2を出すのが本当に悪いのだとすれば、まず取り組むべきはエコ運動なんかではなく、人口問題です。人間はものを食べて酸素を吸ってCO2を出す「内燃機関」であり、それが今地球上に70億人近くいてCO2を排出し続けている。1950年頃の地球人口が20〜30億人だったわけですから、60年で3倍近く増えたわけです。それが車に乗り、クーラーをつけて一人当たりのCO2排出量も増えているわけですから、CO2削減の最も有効な手段はどう考えても「人口減」への取り組みになるはずです。すると、今盛んに言われている「エコ」活動はすべて、大局的にはCO2削減にほとんど効き目がないと言わざるを得ません(Q127参照)。

     エネルギー問題にしても、バイオマスや風力発電などは代替エネルギーとしては論外、太陽電池も代替エネルギーになり得ないことはすでにお話ししました(Q128Q133参照)。ちなみに政府は盛んに太陽光発電を推進しているようですが、これも介護ビジネスと同じです。採用したところに補助金を付けるという制度自体、コストに合わないビジネスであることの証明です。では太陽光発電・太陽電池産業が将来的に日本を支える成長産業になるのかと言えば、それもあまり期待できないと思います。現状でも化石燃料の発電に比べてキロワット当たりのコストは倍くらいかかっているはずですし、もし原子力発電が普及すれば(そちらの方が可能性が高いと思いますが)いっぺんに終わってしまいますよ。いずれにしろ、環境ビジネスは成長分野というにはあまりに疑問が多い。特に「エコ」と称する分野は半分以上が眉唾物だ、近い将来「何であんなムダなことをやっていたんだろう」ということになる、と私は思っています。

     最後の「観光ビジネス」だけは、まだ少し脈があると思いますが、これは何と言ってもサイズが小さい話なのです。今、外国から年間700万人くらいの観光客が来ているそうですが、仮にこれが倍になったとしても上乗せ分は700万人、1人当たり10万円の付加価値を落として帰ったとしても、経済効果は7000億円。GNP500兆円の日本で何年もかけて総額1兆円にも満たないビジネスにしかならないだろう、というのが私の予測です。これが国を挙げて取り組む成長産業だとは、あまり思えません。こう見てくると、民主党の掲げた成長戦略の重点分野がいかに的外れか、おわかりいただけるでしょう。

    成長産業とはどういうものか?

     では、私の言っている「成長産業」というのはどういうものなのか? 私はこれまで「日本の国や社会や会社組織が成長産業を潰してきた」という事例を当事者として何度も経験したことがありますし、またうまく行ったケースもありますので、その実例をいくつか紹介したいと思います。そうすれば、皆さんに私の考えている成長産業とはどういうものか、また日本をどう変えれば成長路線に乗せられるのか、がイメージしていただけると思いますので。

     30年ほど前の1978年頃、私はエクソンモービルの子会社の石油精製会社でエンジニアとして働いていました。その会社は年商1兆円くらいの大企業で、年間700〜800億円くらいの経常利益を出していた超優良企業でした。その頃も「石油は長期的にはいずれなくなる」という危機意識が強く、将来事業の多角化を図らないといけないということで、社内から若い優秀な社員を集めて新事業開発室が設置され、新しいビジネスの種を見つけようということになったのです。そこになぜか私も選ばれ(おそらく「変わっているから」という理由で・笑)、結局若手の3人(全員当時30歳そこそこ)がそれぞれ別々に、伸びる可能性のあるニュービジネスの種を探すことになりました。「金はいくらでもあるから、自由に発想して有望なビジネスチャンスを探してこい」というわけです。

     まず一人は「アモルファス(非晶質)太陽電池」をやり初めました。当時はまだ太陽電池というものの存在をほとんどの人が知らず、さらに「アモルファス」となると専門家でも「何ですか?」と言うような時代でしたから、まさに革新的な発想でした。アモルファスというのは「非晶質」という、物質の分類名です。世の中の物質というのは「結晶」と「非晶質」の2つに大別され、大ざっぱに言えば結晶というのは原子や分子がきちんとしたパターンで繰り返し並んでいる物質、非晶質というのはそれが不規則に組み合わさっている物質のことです(ちなみに世の中の物質の99%は非結晶、アモルファスです)が、当時の太陽電池の研究は「実験的に結晶のシリコンに太陽光を当てると太陽光の1%弱が電気になった…」というレベル(今では15%くらいになっています)で、当然そのコストも非常に高く、実用化にはほど遠いと言われていました。しかも希少でコストの高い結晶でしか太陽光を電気に変換できないと思われていた。そこへ、「アモルファスのシリコンに光を当てたら電子が励起して電気が流れた」という実験結果が専門誌に発表され、それを見た私たち3人のうちの一人が「これはおもしろいのではないか(アモルファスはコストが非常に低い)」と注目して、アモルファスの太陽電池に取り組み始めたわけです。

     もう一人は、機能性材料としてカーボンファイバー(炭素繊維)を手がけました。当時市場に出ていたのは東レ等が作るポリアクリルニトリル(PAN)という化学物質から作られたカーボンファイバーがほぼ全てだったのですが、その頃、石油のピッチからもカーボンファイバーが作れることがわかったのです。私のいた会社は石油精製会社ですから、分野として取り組みやすいこともあって、彼は新しいピッチ系カーボンファイバーに目をつけたわけです。

     一方、私が手がけたのは「遺伝子組み換え」でした。もちろん当時は遺伝子組み替えと言っても生化学でもマイナーな分野で、また全くビジネスとのつながりが理解されていなかった時代でした。私が当時ネイチャー誌を読んでいると、バイオジェンというベンチャー企業が「大腸菌に遺伝子組み換え技術を使って人由来のインターフェロンを作らせた」という記事を見つけ、「よし、これはおもしろい!」と思って一人でやり始めたわけです。もちろん遺伝子のことなど何もわからないのでバイオテクノロジーを一から勉強し始めたのですが、当時、日本でも遺伝子組み換え研究を(細々と)やっている大学の研究室は2つか3つしかない状況で、「解体新書」を読み進むような苦労をしながら取り組んだのを覚えています。

     ちなみに私の第一感では、カーボンファイバーは一企業のビジネス規模の可能性としては数十億円くらい、アモルファス太陽電池は数百億円規模、しかし遺伝子組み換えビジネスは数千億円規模のビジネスになる可能性があるだろうと思っていました。少し自慢しますが(笑)、要するに3人の中では私が一番「スジ」のいい着眼だと確信していました。でもいずれにしろ、3人とも当時としてはかなり革新的なニュービジネスの種を見つけたわけです。30年以上も前の話ですが、私の考えている成長シーズとはこんなイメージのものです。また、この3人とも、ある程度パルチザン的な才能の持ち主だったからそれなりの有望なシーズが発掘できたと言えるのではないでしょうか。ではその後、それぞれの取り組みはどうなったのか?

    官僚的メンタリティが成長の種を潰す

     まず、アモルファスの太陽電池ビジネスは、会社としては採用されませんでした。親会社のエクソンから「そんな大がかりなことを子会社でやることはまかりならない」という、実に官僚的なストップがかかったからです。確かに親会社には中央研究所があり、孫会社のようなところとダブル投資になってもいけないということはわからないでもない話ですが、当時は中央研究所でもアモルファスはやっていなかったし、面子もあったのでしょう…いずれにしろ、大きな官僚的組織が官僚的発想でニュービジネスの種を潰したということには違いがない。ちなみにこのプロジェクトは、当時の常務(創業者の息子)が「技術的なことは何もわからないがおもしろそうだ」ということで興味を持って、潤沢な個人資産の中から1億円の私財を投じてMITの発明者から日本と東南アジアの独占製造販売権を買ったことから始まったものでした。従って、権利はあるので実用化さえできればビジネス化は十分見えていたのです。それでもエクソンは潰してしまった。今ではこの技術は実用化され、アモルファスの太陽電池はコストが安いため、安い電化製品等に幅広く使われています。例えば電卓の太陽電池はすべてアモルファスの太陽電池です。ビジネス規模からすると、一企業当たりで数百億円単位のビジネスには十分なっているわけです。

     次に、私の取り組んだ遺伝子組み換えはどうなったか? バイオジェン社は当時、大腸菌からインターフェロンαを作ったあと、続けてβとγを作ることに成功しました。その時のインターフェロンβとγの極東における製造販売権を日本で初めて買おうとしたのが私です。確か当時の日本円で初期投資が3000万円くらいだったので(信じられないほど安いでしょう。何しろ当時、遺伝子組み換え等に注目しているビジネスマンはそれほど希だったのです)、私は会社にその権利を買うことを提案したわけです。ところが、年間800億円も利益を出す会社の役員会で、3000万円の投資が却下されたのです。理由は「遺伝子をいじるなんて恐ろしい。もしも何か大変なことが起こったらどうするのか」。私は役員会の席に呼ばれてそう聞かれ、「技術的には絶対大丈夫です。何よりも今、誰も手をつけてない分野です!」と胸を張ったのですが、「誰もやっていないのか? それは危ない!」…まるで落語の世界でした。結局「わからないものは怖い、怖いものには投資しない」という結論になったのです。私は「もうこの会社に未来はない」と思い、即、会社を辞めて米国のビジネススクールへ行ったのですが、ちなみにその後、遺伝子組み換えのビジネスは別の会社で1000億円単位の成長分野になりました(私がマッキンゼーに入っていた頃、ある企業が遺伝子組み換えによる医薬品ビジネスを始めることになり、私がコンサルティングに入って黎明期から一緒に立ち上げ、実際に今1000億円規模のビジネスになっています)。

     結局、会社で事業化されたのはカーボンファイバー事業だけでした。ただし、石油ピッチから作り出したカーボンファイバーは結果的に思うような品質のものができず、道路の下に埋める構造物のような用途の製品としてこの会社では5〜10億円くらいの年商に止まり、大きな見込みがないということでやめてしまいました。

     振り返ってみると、だいたい当初に私が直感した予測通り(この会社の売上規模でピッチ系カーボンファイバーが数十億円、アモルファス太陽電池が数百億円、遺伝子組み換え医薬品が数千億円)になりました。しかし、当時の官僚的な大企業のトップは、一番スジの悪いものからやり始め、リスクのあるものはすべて避けて通った、このメンタリティは今でも全く変わってないでしょう。要するに日本の会社や組織、社会というものは体質的に先を見る力、考える力がないため、成長の種を見てもそれがどういうポテンシャルを持っているのかがわからない。そして「わからない人たち」はたいてい、「わからないもの」を潰すのです。

    パルチザンを救え

     2つ目は、コンピューター分野の実例です。コンピューターというのは、まずCPU(中央演算処理装置)があり、次にOSがあってその下に各種のソフトウェアが走っている。またそれとは別にディスク、ドラムをはじめとするメモリーの部分があって動くわけですね。当然、下部のインフラ(OSやパッケージソフト等)はCPUの制約を受けます。要するにコンピューター(業務用コンピューターもパソコンも)の世界マーケットを取ろうとするなら絶対に大本のCPUを牛耳っていない限り、バーゲニングパワーが働かないわけです。従って、日本の富士通やNECといった大手メーカーもかつてはみんな自社でCPUの開発をやっていました。ところが、CPUの開発はバージョンアップの戦いであり、それには巨額のお金がかかる。そこへCPUの最大手であるアメリカのインテルが大きな投資をして一人勝ちの様相を呈してきたため、それについて行けなくなった日本の大手メーカーはすべてCPUから撤退してしまいました。しかし1980年代に、アスキーの西社長が敢然と再びCPU開発をやり始めたのです。西氏はビル・ゲイツ等とマイクロソフトを立ち上げた経営陣の一人で、当時のコンピューター業界のリーダー的人物です。私は日本で数少ないパルチザンの一人だと思っていました。ただし、当時、業界では西社長の評判は最悪でした。ワンマン、唯我独尊、人の言うことを聞かない…これ以上の蔑称はないというくらいひどいことを言われていました。

     インテルの開発した「86系」CPUは、以後大きな資金を投入しながら数年ごとに286、386、486…とバージョンアップしていくわけですが、実は86系の登場以前に世界初のCPUに相当する集積回路を作ったのは、日本人の島正利さんというノーベル賞クラスの研究者のチームなのです。日本の大手メーカーがすべて撤退した後、CPUの重要性を認めていた西社長はその島さんの研究チーム(全員でも10人くらいですよ)を引き取って、コツコツとCPU開発のキャッチアップを始めました。年商1兆円のインテルに対し、年商わずか300〜500億円のアスキーが借金を重ねながらCPUに挑んでいたわけです。そしてインテルが486から586(ペンティアム)にバージョンアップした頃、アスキーは何とか386まで到達し、ちょうど3年遅れくらいのペースで追走していました。当時私は西社長と交流があって、お互いに「CPUは絶対にやるべきだ。これをアメリカに牛耳られたらコンピューターの世界はすべてアメリカ企業の言いなりになるしかない。PCで世界を獲るためには日本で誰かがCPUの灯を受け継いでいかねばダメだ」と話し合っていました。ところが、それを銀行が潰したのです。

     アスキーは銀行からかなりの借金をしていたのですが、銀行が「何でCPUみたいな金食い虫をやるんだ。それはあなた(西社長)の趣味の世界だ。趣味で会社を潰す気か。今年の決算をどうするんだ!」と言って、コスト削減の一環としてCPUの開発をやめるように迫ってきたわけです。もちろん、長期的には必ずリターンはとれる、わずかな投資額ではないか、といくら数字で示しても彼らにはわからない。CPUが何かすら理解できない銀行官僚には「誰もやっていない」開発はリスクの象徴としか見えないのです。そして結局それで、アスキーはCPUを断念せざるを得なくなった。もしCPU開発が続けられていたら、日本がコンピューターの分野で世界に打って出る足がかりになったかもしれない。さらに言えば、日本のコンピューターの歴史が変わったかもしれないのです。しかし官僚的企業の代表である銀行には、そんなことは全くわからないし、たぶん自分たちが日本のコンピュータービジネスの未来を潰したという認識も全くないわけです。ビル・ゲイツを育てたアメリカと、寄ってたかって西社長を潰した日本社会との差が歴然と存在していることがおわかり頂けましたか。

     そもそもCPUの研究開発などというものは、私に言わせれば国家戦略として国がやるべきことだと言っても過言ではない。どう考えても売上300億円の中堅企業がやることではありません。しかし、今後の世界のコンピューター界の競争に生き残るためには誰かがやらねばならないし、またやれば必ずリターンはとれる。しかしそれを銀行もわからず、国もわからず、当時西社長を叩いたマスコミもわからず、結局みんなで寄ってたかって「成長の種」を潰してしまったわけです。無知というのは恐ろしいもので、私のインターフェロンへの投資を却下したのも、先の事業仕分けで科学技術振興費を切ろうとしたことも全く同じメンタリティだと言えます。あの時、ノーベル賞科学者が「事業を仕分けた政治家たちは歴史の法廷に立つ覚悟があるのか」と怒っていましたが、実に言い得て妙だと思います。

     以上、私が当事者として体験した事例をお話ししましたが、成長産業とはどういうものか、成長の種とはどういうものか、が少しおわかり頂けたでしょうか。いずれにしろ、成長戦略とはそういうものだという認識を内閣が持たない限り、何も前に進まない。それ以前に今の内閣にはせめて、成長戦略の重点分野としての環境、健康、観光というのは「あまりにスジが悪い」ということだけでも気づいていただきたい、というのが私の感想です。

    長々と私の成長産業論を述べてきましたが、結論は「成長をもたらすのはパルチザンであり、日本にも数少ないがパルチザンはいる。それでも成長産業が育たないのは、社会、会社、国が寄ってたかってパルチザンを潰すからだ。民主党にはそこに気づいて欲しい。ぜひ私の『四国出島論』に乗ってパルチザンによる成長戦略を確立して欲しい」ということになりましょうか。