書籍

なんしょんな!!香川・PARTT
なんしょんな!!香川・PARTT
「行政の役割」水は誰のものか/人の渡らぬ橋、車の走らぬ道/広い家 他
1,200円(税込み)
有料会員のみ閲覧できます
なんしょんな!!香川・PARTU
なんしょんな!!香川・PARTU
「高齢者対策の処方箋」
1,200円(税込み)
有料会員のみ閲覧できます
なんしょんな!!香川・PARTV
なんしょんな!!香川・PARTV
「教育の危機」学校教育の危機/崩壊する家庭教育/的外れの企業内教育
1,200円+税
有料会員のみ閲覧できます
なんしょんな!!香川・Q&A BOOK
なんしょんな!!香川・Q&A BOOK
「Q&A」行政の役割/水問題/交通問題/時事
800円(税込み)
なんしょんな!!香川・Q&A BOOKU
なんしょんな!!香川・Q&A BOOKU
この本は、都村長生氏の政経塾「長生塾」とそのホームページに寄せられた質問に対し、都村氏が答えた内容をまとめたものです
800円+税
なんしょんな!!香川・Q&A BOOKV
なんしょんな!!香川・Q&A BOOKV
この本は、当ホームページに寄せられた質問に対し、都村氏が答えた内容をまとめたものです。
100円+税
なんしょんな!!香川・Q&A BOOKW
なんしょんな!!香川・Q&A BOOKW
この本は、当ホームページに寄せられた質問(2003年5月〜2007年3月)に対し、都村氏が答えた内容をまとめたものです。
100円+税
なんしょんな!!香川・Q&A BOOKX
なんしょんな!!香川・Q&A BOOKX
この本は、当ホームページに寄せられた質問(2007年5月〜2008年12月)に対し、都村氏が答えた内容をまとめたものです。
100円+税

長生塾ホームページ終了のお知らせ

なんしょんな Q&A詳細

  • 【243】 理屈のわからぬ懲りない人々へ(2012.4.10) (高松市 大学教員)
    いつもQ&Aでよく出てくる「ビジネスに置き換えて考える」ことであらゆることにシンプルな解決の道が出てくることに、感動すら覚えています。そこで、メディアで報道される政治のいろんな施策を自分なりにビジネスに置き換えて考えていると、根本的に今の政治は「国民(県民)を豊かにする」という「目的」からすでに曖昧であることが最大の問題ではないかと思うようになりました。今の政治の現状を見ると、目的を曖昧にしたまま「手段」だけを見て「これはこういうメリットがある、いや、こういうデメリットもある」と議論しているように見えます。そもそも、手段の善し悪しは目的によって変わるものなのに、その「手段の選考基準」となる目的が曖昧では合理的な答が出るはずがないと思うのです。とりあえず今、私は「目的と手段の整合性」という視点を一番に持って物事を判断しているのですが(このQ&Aでもそういう視点が何度も出てくるので)、こういう判断基準は有効なのか、また都村さんの物事の判断基準はどういうものなのか、できればご示唆いただけないでしょうか。かく言う自分が曖昧な質問で申し訳ありませんが、よろしくお願いします。
  • 3つの判断基準を設定するとよい

     「目的と手段の整合性」という視点は、よい感覚だと思いますよ。私もこのコラムで何度も指摘を繰り返してきているのですが、近年、日本の政府をはじめ、マスコミ、識者、民意様等ほとんどすべての言うこと成すことが、どこか筋が悪い、すなわち解の方向が間違っている、という気がしてなりません。具体的に言えば、私が日本の政治、経済等にビジネスで言うプロブレムソルビングを適用して出て来た常識的な解と、全く逆のことが頻繁に主張され行われてきているのです。もちろん、私の出した解がすべて正しいと言うわけではありませんが、少なくともこの20年間の日本は、やること成すことほとんどがうまくいっていないのが紛れもない事実なのですから、やはり筋が悪い、方向が間違っていると言わざるを得ない。では、一体なぜそうなるのか? そこで、私がプロブレムソルビングをする際、一歩下がって俯瞰して考えてみるために設定している判断基準をいくつか、事例を挙げながらお話しすることにしましょう。

     私はこれまで数多くの会社のトランスフォーメーションを手がけてきましたが、そこでプロブレムソルビングの手法を使う際、特に意識していた視点を挙げれば、
    (1)オブジェクティブ(目的)を明確にする。
    (2)因果関係を解き明かし、真の原因を特定する。
    (3)部分最適にこだわらず全体最適を最優先する。
    の3つになるでしょうか。

     まず、オブジェクティブの明確化は、すべてのプロブレムソルビングの出発点となります。私が社長として会社のトランスフォーメーションに入る時を考えると、まず最初に「何を達成すればいいのか」が明確にされない限り、戦略(手段)が立てられない。売上を増やせばいいのか? 利益を増やせばいいのか? 将来の会社の成長の種を見つければいいのか? あるいはリストラをして体制改革をすればいいのか?・・・等々、そのオブジェクティブによって、採るべき戦略が違ってくるからです。つまり、一つの戦略が「A」という目的に対して有効であっても「B」という目的に対しては逆行する、ということがしばしばあるからです。従って、目的が明確化されないまま戦略の善し悪しをいくら議論しても全く意味がない、というのはこの方のおっしゃる通りです。

     次に、原因の特定です。何か問題が起こった場合、それには必ず原因があります。そして、私の経験から言えば、その原因を特定できればプロブレムソルビングは7〜8割終了したも同然なのです。問題を解決できずに苦しんでいる会社を見てみると、その大半が「現惨状を作り出した原因を取り違えているために、有効でない(間違った)対策をとっている」ということに気がつきます。例えば、売上が落ちている一番の原因が商品のクオリティにあるのに、「営業力不足が原因だ」と取り違えて「営業の人員を増やせ、営業時間を増やせ、売れるまで帰ってくるな!」等の販売戦略を採ってハッパをかける・・・そんな苦い経験を皆さんもお持ちではないでしょうか。それでは、マッサージをやる時に違うツボを押し続けているようなもので、ただ痛いだけで何の効果も上がりません。

     3つ目は、「部分最適を積み上げても全体最適にはならない」ということです。「この部門にとっては、こうすることが最適だ」という戦略があったとしても、各部門が部門ごとの最適戦略を採用すれば会社全体が最適な方向へ向かうとは限らない。むしろ、全部の部門が部分最適を目指すと“合成の誤謬”が起こり、会社としては不幸な方向に向かうことの方が多いのです。従って、常に優先的に意識すべきは「全体最適」であり、そのためには部分最適を断念しないといけないことも多々あるのです。

     この3つの視点(理屈)は、言われてみれば当たり前のことばかりです。しかし、近年の日本政府の政策や社会事象を見ていると、これらに反したことばかりが行われ、「これだけはやってはいけない」ということだけを魅入られたように選択しているように思えてなりません。では、いくつか直近の事例を挙げて、これら「当たり前の3つのこと」がいかに行われていないのか、を見て行きましょう。

    「消費税増税政策」は3つの理屈すべてに反している

     1つ目は消費税増税議論です。今、日本は政府の財政が悪化している。予算(支出)は100兆円に達しようとしているのに、税収が40兆円にも満たず、借金がどんどん膨らんでいる。だから消費税を上げて歳入を増やすしかない。そして消費税増税で増えた歳入は、支出項目のうち最大を占める社会保障費に使う・・・これが消費税増税政策のロジックですね。では、このロジックを先に挙げた3つの視点から考えてみましょう。

     まず、(1)日本政府のオブジェクティブは何か? です。それは、「日本の国民の豊かさを実現すること」にあるのは言うまでもありません。すると、消費税を上げれば国民が豊かになれるのか? と考えれば、どう考えても理屈上おかしいことにお気づきでしょう(具体的な矛盾は(2)、(3)に後述します)。消費税アップというのは、あくまで一つの「手段」です。しかし、政府は自らの最大最優先のオブジェクティブを見失って、消費税増税という手段を最終目的化してしまっている。ここで、根本的に理屈がおかしくなっているのです。

     次に、(2)歳入不足の原因は何か? を考えてみれば、消費税増税がいかに筋が悪い施策かが明らかになります。歳入不足の最大の原因は、「日本経済の成長が止まっている」からに他ならない。これは誰もが同意する事実でしょう。すると、原因がそこに特定できれば、対策としては当然「日本の経済を成長させるにはどうすればよいか?」ということが本筋になるべきですね。経済成長のための方策については、私はQ164等でこれまで何度も指摘してきました。すなわち、日本は今「成長欠乏症」の状態にあり、成長を実現しない限り現状打破の解はない。そして、経済の成長というものは「パルチザンのような特殊な才能を持った個人だけが生み出せる」、残念ながら、我々普通の者がみんなで一生懸命頑張って汗を流しても成長は生み出せない。従って、ビジネスを生み出すポテンシャルの高いパルチザンを輩出できる大企業やお金持ちにお金を回して成長の種を見つけ、育てることが大切になる。その後、彼らに納税してもらい、そのお金を弱者に回す・・・等々。

     ところが、今政府がやろうとしている消費税増税というのは、これらの経済成長策の本筋のどれにも当てはまらない。そもそも消費税増税というのは、ただ我々「民」のお金を政府「官」の財布に移すだけに過ぎないと知るべきです。しかも、官の財布に移したお金を全部、ビジネスも成長も生み出さない高齢者や疑似弱者という福祉の便乗者に配ると言う。これでは経済成長は望むべくもありません。

     また一方で、財政が悪化すると国債暴落の危機が訪れ、国際社会において日本の信用が落ちる、だから消費税増税はやむを得ない、という主張もありますが、これも「信用が落ちなければ成長するのか?」と考えれば、原因と結果を取り違えていることがおわかりでしょう。「成長が止まっている」という結果のその原因は「国際的な信用がないから」ではないのです。結局、消費税増税に血眼を上げる現在の政府は、歳入不足の最大の原因を全く特定できていない、と言わざるを得ないでしょう。

     次に、(3)消費税増税は全体最適にかなっているか? これは言うまでもありませんね。民のお金を官の財布に移すだけということは、官の財布(政府の財政)にとっては最適かもしれないけれど、日本の国全体のお金の量は変わらないのです。それどころか、増税により成長を生み出す民間の力を削いでしまうわけですから、明らかに全体最適を損なってしまいます。

     唯一、消費税を上げて全体最適にかなうとすれば、集めた消費税を国が成長のために使えば(金持ちと大企業に渡せば)意味がある。もっと具体的に言えば、消費税を上げた分、法人税と所得税を大幅に下げる。極論すれば、儲ければ儲けるほど税率が下がるような“逆累進”制度にしてパルチザンを優遇し、どんどん成長を促すようにすれば、全体最適にかなって整合性がとれます。つまり、消費税増により国が貧乏人から金を集め、一時的にそれを金持ちと企業に回す、ということをやるわけです。しかし、前述したように増税で民から官の財布に移したお金は成長を生み出さない人たち(弱者)に配ろうというのですから、これは「部分最適を目指して全体最適を損なう」という典型的な愚策だと言うしかありません。

     結局、消費税増税というのは、上記3つのビジネスの常識(理屈)すべてにおいて間違っているのです。加えて、もう一点おかしい点を指摘すれば、増税に反対している政治家もマスコミも民意様も口を揃えて「行政のコストカットが先だ」と言っている。つまり、「行政のコストカットができれば増税してもよい」と言っているわけです。この懲りない人々の頭の中は、「お金の大小関係を比べる」という機能が欠落しているのでしょうか? 

     彼らの言うコストカットとは、「独立行政法人を廃止しろ」、「ムダな施設を廃止しろ」、「国家公務員の人件費を削減しろ」、「国会議員のムダを省け」・・・等々、すべて合わせてもたかだか1兆円、2兆円の話でしかない。すると、1〜2兆円を削れば消費税5%アップで10兆円を超す金を取られてもいい、と言っていることになりはしませんか? 私にはどう考えてもその勘定が合わない、とても理解できません。すなわち、金額ベースで言えば、行政のコストカット分より消費税アップ分の方が一桁大きい。さらに、それより一桁大きいのが「成長」による果実分なのですよ。まったく、金勘定の感覚が狂っているとしか思えません。こんな人たちに金を渡しても成長が生み出せるわけがないのは明々白々でしょう。

    インフレターゲット政策は「原因と結果」を取り違えている

     消費税アップに次ぐ2つ目の例は、近年、日本経済復活の切り札のように言われている「インフレターゲット」について検証してみましょう。インフレターゲット論者のロジックは、要するに市場にお金を供給すれば経済が活性化するから日銀は100兆円規模でお札を刷ってどんどん供給すべきだ、というものです。これも、結果と原因を取り違えている典型的な例です。なぜか? 日本は今、経済成長が止まってしまっているわけですが、それには必ず原因があります。では、その最大の原因は「市場にお金が足りない」ことなのか? お金が足りないから成長できないのか? 本当ですか??

     明らかにそうではありませんね。主原因は明らかに、何度も指摘してきている「日本に新しい成長産業が出てきていない」からでしょう。その証拠にこの20年間、日銀はゼロ金利を続ける等、かなりの金融緩和をして市場にお金が回るようにしてきたにも拘わらず、日本の経済はほとんど成長していないではありませんか。日銀が金融を緩めて銀行に貸し付け等でいくらお金を出しても、日本市場には成長産業がないのですから、銀行はお金の使い途がない(本当に成長産業があるなら銀行は必ずそれに投資しますよ)。だから銀行はそのお金を国債購入に回す・・・結局、日銀がいくらお金を出しても日銀と銀行の間でお金がぐるぐる回って国債が増えていくだけ、という現状となってしまっているのです。繰り返しますが、今の日本経済に欠けているのはお札の量ではなく、成長の種なのです。それを生み出し、それに投資しない限り、いくらお金を刷っても成長のためには何の役にも立たない、ということを知るべきです。

     もちろん、お札を刷れば一時的に金融産業は伸びるでしょう。しかし、本当の成長というのは実体産業が立ち上がらない限り実現しないことは、これまでに何度もお話ししてきました(Q227等参照)。そして、その実体産業が伸びてくれば新規ビジネスへの投資にお金が必要になるから、お札を刷る必要が出てくるのです。再度繰り返します、お札を刷ればビジネスが伸びるのではありません。ビジネスが伸びればお金が必要になってお札を刷る必要が出てくるのです。その当たり前の因果関係が、インフレターゲット論者の頭の中では逆転しているのではないでしょうか。あるいは、「日本には今、成長が必要だ」というオブジェクティブ自体を頭の中で設定できていないのかもしれません。

     ちなみに、他にも「インフレターゲット」という考え方には、いくつか根本的な疑問があります。まず、お札を刷ればインフレになるのは間違いない。すると、名目GDPはその分押し上げられて上がります。名目GDPというのは実質GDPに物価変動を足したものですから、例えばお札をどんどん刷って5%のインフレが起きると、実体経済が全く成長していなくても「名目GDPで5%アップを達成した」ということになる。インフレターゲット論者がやろうとしていることは、そういう話でしかない(実体経済を成長させる政策は手つかずなのですから)。

     要するに、「バブル経済よ、再び」ということでしょう。でも、それが今の日本の国のオブジェクティブなのですか? 百歩譲って1980年代のバブル経済には少なくとも一部実体経済の成長がベースにあったと言えますが、今の日本はかなり深刻な「成長欠乏症」にある。そこにインフレ、すなわち実質成長なしのインフレ(真性バブル?)を起こすなど、私に言わせれば狂気の沙汰だとしか思えません(これも日本の国のオブジェクティブを見失っている例でしょう)。いずれにしろ、インフレでGDPアップを達成しても実質成長には何の意味もない、ということを知るべきです。

     もう一つ、インフレというものは一度起こり始めると誰にも制御できなくなる、それをどうやってコントロールするのか? という疑問には誰も答えてくれていません。金融市場が小さくて単純であった“古き良き時代”には、政府のマネーサプライや金利政策である程度、金融環境をコントロールできました。また、当時は成長産業がたくさんありましたから、お札を刷ればそれが一部でも成長産業に回って経済成長も促すこともできた。しかし、これまで何度もお話ししましたように、金融市場がここまで巨大化し、複雑化した今、政府の金利政策とマネーサプライだけで経済をコントロールできるような時代ではなくなってしまったのです(Q140Q194参照)。

     今、先進国の間でもインフレターゲットを設定している国がいくつもあると言われていますが、それらの国では今、「インフレターゲット」ではなく「インフレゴール」という言葉を使っているはずです。「ゴール」というのは「長期的に達成できればいいな」という、希望に近い、かなり曖昧なイメージです。すなわち、インフレはコントロールできないから「ターゲット(達成目標)」にはできない、ということを彼らは知っているのですよ。

     ところが、日本では政治家もマスコミも民意様も、「インフレはコントロールできるものだ」と盲信している節がありますね。しかし一方では、「原発はコントロール不能だ、あんな人知を超えた恐ろしいものは誰にも制御できない。だからやめろ」という意見が大手を振ってまかり通っています。私に言わせれば、インフレより原発の方がずっとコントロールしやすい(笑)。なぜなら、原発は「技術」によって導かれる解があるからです。インフレは「技術」ではコントロールできず、マーケットという巨大な賭場での「バクチ」の結果に近い。マーケットとはそういうものです。すると、「コントロールできないものはやめろ」というロジックに従うなら当然「インフレ策はやめろ」となるはずですが、誰もそれを言わない。明らかに論理矛盾を起こしていますね。少し主題から逸れましたが、いずれにしろ、インフレターゲット政策は(1)の「明確なオブジェクティブの設定」と(2)の「原因の特定」の2つの理屈に反していることがおわかりいただけると思います。

    貿易赤字で騒ぐのは部分最適だけを見て全体最適を見ていない

     3つ目は、貿易赤字の話題を考えてみましょうか。今年の1月の終わり頃、「日本が31年ぶりに貿易赤字に転落した」というニュースが流れて、日本経済の凋落の一つの象徴だ、という論調で話題になりましたね。しかし、私は全くそうは思わない。至極当たり前の話だと思っています。なぜか?

     日本の国際収支というのは、「経常収支」と「資本収支」と「外貨準備増減」の合計です。このうちの中核になるのが「経常収支」で、経常収支はさらに、貿易収支(単純に輸出と輸入の差額)、所得収支(日本企業が外国投資から得た利子とか配当と外国企業が日本国内で得た利子、配当の差額と考えてよいでしょう)、サービス収支(日本人旅行者等が外国に行って使ったお金と外国人が日本に来て使ったお金の差額など)、経常移転収支(対価を伴わない開発途上国等への経済援助や国際機関への拠出金等)の4つに分かれています。このうち、取引総額が圧倒的に大きいのが「貿易収支」と「所得収支」ですから、大まかに言えば、日本経済の総合力としては「貿易収支と所得収支の合計額」がその指標だと言えます。そして、貿易収支と所得収支を合計すれば間違いなく、まだまだ黒字になっているはずです。

     それよりもまず、そんな統計数字に意味があるのかどうかを考えてみるべきだ、というのが私の正直な第一感ですよ。30年くらい前、アメリカの対日貿易赤字額が大きくなって、日本がアメリカからものすごく叩かれたことがありましたね。あの時、日本政府は腰砕けになってアメリカの数々の無理難題の要求を飲んでしまったのですが、実はその時、マッキンゼーで大前研一さんがこんな計算をしたことがあります。

     すなわち、アメリカ企業が日本に進出して日本で稼いでいるお金をカウントして収支計算に加えたのです。実はこの額はアメリカの貿易収支には含まれていない! 日本でのマクドナルドやケンタッキー、コカコーラからIBMまで、主要企業だけのカウントでしたが、どこにもそんな統計がなかったのでリサーチャーを7〜8人使って3ヵ月くらいかけてかなり大変な計算をしました。結果、正直ベースで言うと日米の貿易収支はアメリカの貿易赤字額を差し引いてほとんどチャラという計算になってしまった(もちろん、アメリカ国内の日本企業の収支も加えましたよ)。つまり、企業は国境を越えて自由に活動しているのに、国ごとの国家収支は自国分(国境内)のカウントしかしていない・・・国際収支という統計はそういうものなのです。

     企業というのは政府よりずっとビジネスセンスがありますから、国内市場の拡大が見込めないとなると必ず海外に進出します。トヨタも日産もパナソニックも、アメリカやヨーロッパや中国にどんどん進出して海外本社を置き、そこで生産、販売を展開する。すると、国内企業の輸出入だけをカウントする貿易収支が減少するのは当然です。しかし、その間、海外進出した企業は海外で収益をどんどん拡大しているわけですから、それは明らかに「日本企業の成長」であり、それも合わせたものが日本経済の総合力でしょう。従って、国内産業だけの輸出入収支である「貿易収支」だけで日本経済を見るのは、「部分最適を見て全体最適を見失っている」と言わざるを得ないのです。

     私に言わせれば、貿易収支の赤字化は日本経済(日本企業)の衰退ではなく、日本政府の無策ぶりを象徴していると思います。すなわち、日本の企業が世界に進出し、グローバルにどんどん成長してきたにも拘わらず、その日本企業が世界で稼いだ利益を自国にフィードバックさせるための政策を政治が全く採ってこなかったことが今日の状態を招いていると思うからです。

     例えば、法人税を下げて海外に本社を置くより日本に置いた方が有利にすれば、企業はどんどん海外に進出しても、海外で得た利益を日本に還流し、国内で納税するようになります。あるいは戦略上海外に本社を置いたとしても、海外で得た利益をロイヤリティや配当等で国内本社にフィードバックする等、日本国内に利益を吸い上げるように動きます。グローバル化した企業というのは必ず、税制の有利な国で納税しようとするからです。しかし、政府がそうした政策を全く採ってこなかったため、現実は、海外に進出した日本企業の利益はほとんどすべて海外に落ちてしまっている・・・これを政治の無策と言わずして何と言うのでしょうか? 我々ビジネスマンの頭の中にはもうすでに国境という概念はなくなっているにも拘わらず、政治家や官僚は相変わらず時代遅れの国境に縛られて部分最適しか見えていない。そのため、全体の利益(国民の豊かさ)を失ってしまう・・・このどうしようもない政治とビジネスの間のギャップが世界中で一番大きい国が、日本なのです。

     さらに言えば、海外に拠点を置く日本企業のビジネス活動(利益)についても、日本政府は実際の数字をほとんど掴み切れていないと思いますよ。そもそも役人にビジネスのわかる人がいない上、現地の外務官僚はパーティーをやっているだけで全く役に立たない。さらに、英語やフランス語や中国語が堪能な税務審査官も公認会計士もほとんどいないでしょうから、とても現地の詳細を調べきれない。今、海外の日本法人は、オリンパスやAIJの例を引くまでもなく、日本からの調査に対してはごまかし放題の状態にあると思います。いずれにしろ、貿易赤字、貿易赤字、と騒ぐマスコミや識者のメンタリティと日本政府の無策ぶりには「何が全体最適か?」の考えが全く欠落しているとしか言いようがない。誰一人として国ではなく企業ベースで国際収支の全体像を捉えてみよう、という人がいないのはなぜなのでしょう?

    原発廃止論は「原因」が特定できず“宗教”に流れた

     4つ目、直近の最も大きな話題は、原発廃止論ですね。これはこのQ&A(原発問題(1)〜(9)参照)でかなり詳しくお話ししてきましたからおわかりだと思いますが、「原因を特定して対策を打つ」という当たり前のことがないがしろにされて解がとんでもない方向に進んでいる、という例でしょう。今回の原発事故は不幸にも甚大な被害を引き起こしてしまったわけですが、いかに大きな事故と言えど、パレートの法則に代表されるように原因というのはたいてい1つか2つに絞られます。それはビジネスの普遍のセオリーであり、真理とも言えるでしょう。

     このQ&Aで何度も申し上げましたが、今回の原発事故の主原因は、直接的には現場の技術者にエマージェンシー時の決裁権限を与えていなかったことにあります。加えて、エマージェンシー時の手動バックアップシステムを準備していなかったこと。この2つを解決すれば、今後“100年に一度の大災害”が起こっても、炉心溶融、水素爆発等の深刻な原発事故は高い確率で防げるわけです(あと、遠因として原発を民間に委ねて政府と民間の間で権限と責任の所在を曖昧にしたままやってきた、という原因がありますが)。従って、事故後、私は当然「権限ルールの修正」と「手動バックアップシステムの整備」に早急に取りかかり、2〜3ヵ月もすればほぼ万全の安全対策を完了するものだと思っていました。

     ところが、事故後1年経っても、ほとんどお金も時間もかからないであろうこれらの解決策は話題にも上らず、あろうことか代替エネルギーの確保もおぼつかないまま、いきなり「原発は全部廃止しろ」という話になってしまっているわけです。理屈で言えば、それは、交通事故で死者が出続けているから「自動車を廃止しろ」と言っているのと同じでしょう。しかし、自動車は昭和30年以来56年間で事故による死者(事故から24時間以内に亡くなった人)の累計が約57万人にも達するのに、「自動車廃止論」は起こっていませんよね。つまり、自動車を廃止することによる「全体最適の損失」を避けたのだと言えます。そして、「事故原因を特定して対策を打つ」という至極“真っ当な”ことが行われて、近年では自動車事故による年間死者数が5000人以下にまで抑えられてきたのです。

     それなら、原発も「全体最適(我々の豊かさの達成)を優先し、事故の原因を特定して対策を打ち、安全性をさらに高めよう」という話になるのが当たり前だと思っていたのですが、どうもそういう話にはなっていませんね。ここまで理屈の通らない話になると、私に言わせれば日本の政治や民意様の判断基準は「理屈」ではなく、「もはや宗教だ」としか言いようがありません。まあ、原発論についてはこれまでにほぼ語り尽くしましたので、ここでは繰り返しますまい(過去のQ&A参照)。

     ただ、原発に関連してもう一つ、直近の因果関係を取り違えている例を挙げておきましょう。原発が止まって今、電力会社が電気料金の値上げを始めたら、みんなが口を揃えて怒っていますね。東電が値上げを申請したら東京都の猪瀬副知事が東電の副社長を呼びつけて値上げ案を突き返していましたが、彼にはこんな誰にでもわかる因果関係が全くわかっていないのでしょうか? 原発がストップすれば、原発のkw/hあたり7〜8円の発電コストが火力のkw/hあたり14〜15円に置き換わるのですよ。全体のうちの置き換わる比率を単純計算しても、2〜3割くらいの電気料金アップになるのは当たり前です。皆、「東電は身を切る努力をしろ」と感情論をぶつけていますが、東電の役員全員の給料をゼロにして社員を2〜3割リストラしても、発電原価のアップ分はとうてい出てきませんよ。直近の値上げの主原因は「東電の経営体質(これもひどいけれど)」にあるのではありません。「原発を止めた」ことにあるのです。原発を止めさせておいて「値上げはけしからん」とは、因果関係の取り違えも甚だしいでしょう。

    CO2削減論はもはや支離滅裂だ

     5つ目は、CO2削減論です。これもすでに詳しく何度もお話ししていますので詳細は繰り返しませんが(Q175等参照)、化学の常識から言えば、CO2が増えたから気温が上がるのではなく、気温が上がるとCO2が増えるのです。つまり、根本的に因果関係が逆転しているのです。しかも、温暖化のCO2原因説のベースとなっているのが、唯一あのわけのわからない巨大シミュレーターによる“風桶計算”(風桶計算に関してはQ175で詳説)なのですから、何をか況んやです。

     さらに言えば、CO2削減を声高に叫んでいる人たちは、原発に賛成なのでしょうか? 私の知る限り、彼らのほとんどが原発にも反対しているのではないですか? CO2は減らせ、原発はダメ・・・では、どうしろというのでしょうか? 「石油や石炭はCO2を排出するが、天然ガスならCO2がほとんど出ない」という主張はウソですよ。石油、石炭を燃やした時に出るCO2量は、同じ熱量を得るために天然ガスを使った際のCO2量とあまり変わらない! 天然ガスはカーボン数1〜3のメタン、エタン、プロパンくらいまでですから、カーボン数10以上の石油や石炭よりはCO2排出量が少ないものの、燃やせばCO2は必ず排出されます。しかも、天然ガスは石油や石炭より当然のことながら単位あたりの燃焼熱が小さいのですから、石油、石炭と同じ熱量を得ようとすれば何倍も燃やさないといけない。カーボンソースとすれば、結局同じことなのです。天然ガスがクリーンエネルギーだというのは、「SOx、NOx量が少ない」という話なのです。勘違いも甚だしい。

     それにも拘わらず「CO2反対、原発反対、天然ガスにしろ、電気自動車にしろ」と主張している人がたくさんいますね。私はこういう人々の頭の論理構造が全く理解できません。その意味で“懲りない人々”と呼ばせていただきました。CO2排出を規制すれば産業が衰退し、原発を廃止すれば産業が衰退するとともに電気料金が上がって国民生活も圧迫されるわけですが、その上で「豊かで文化的な生活は保証しろ」と言うのですから、もはや支離滅裂だとしか言いようがありません。それでもモルモン教徒のようにすべての不便を受け入れて堪え忍ぶ、というならまだわかりますが・・・。日本の国の「オブジェクティブ」も頭にない、物事の因果関係も全くわかろうともしない、目先の部分最適(我欲)だけを主張し、その部分最適を合わせると「矛盾だらけ」になる、という、どうしようもない例だと言えるでしょう。これではもう、オウム真理教のような“宗教”としか言いようがないでしょう。

    小沢裁判はオブジェクティブがすり替わっている

     6つ目は、小沢一郎氏の裁判の問題です(Q180Q197Q203参照)。これも、完全に「オブジェクティブ」がすり替えられている、というひどい例です。政治と金の問題に関するオブジェクティブは、「政治家が賄賂をもらって特定の企業や団体の便宜を図ることを防ぐ」、すなわち贈収賄をなくすことにあるわけですね。従って、今回の経緯の中で言えば、「小沢氏が水谷建設から4億円を賄賂として受け取って水谷建設の便宜を図ったかどうか」、そこが争点であれば裁判には重要な意味があると言えます。ところが、今、争点になっているのは、水谷建設からもらったとされる(小沢氏は個人の持ち金から出したと否定しているから真相は藪の中です)4億円の帳簿への記載年度が1年ずれていた(期ズレ)ことだけです。私も小沢裁判の起訴状をできる限り読んでみましたが、そこには4億円の賄賂性など一切実証しようとしていない、つまり、賄賂性は今回の裁判のでは全く問題にされていないのです。

     期ズレというのは、指摘を受ければ修正申告すれば済むことであり、犯罪というよりはイージーミスの類に入ります。ビジネスの世界でも、今の日本の法人の中ですべての期ズレ記載を徹底的に調査すれば引っかかってこない会社はない、というくらいのミスです。普通であれば「ごめんなさい」で済む程度の話なのです。もちろん、意図的に記載年度をずらして税金逃れをすれば脱税として犯罪になりますが、そもそも政治活動目的の金は無税のはずでしょう。百歩譲って、もし小沢氏がそれを知って意図的にやったのであっても、政治資金規正法違反でせいぜい罰金刑に処されるだけでしょう。つまり、賄賂性が実証されない限り、この裁判にはほとんど意味がない、と言えます。

     ところが、検察もマスコミも、その軽犯罪(期ズレ)を鬼の首を取ったかのように「政治資金規正法の重大な違反だ」と言って、さも大事に仕立て上げようとしている。これまで他の議員が修正申告(ごめんなさい)で済ませたような小さなミスを取り上げて、一人の政治家を抹殺しようとしているのです(おそらく最高裁まで持ち込むでしょうから、結審までにまだ5〜6年はかかる。すると、小沢氏は80歳近くになりますから、ほとんど政治生命が絶たれるようなものでしょう)。

     そもそも、記載ミスで小沢氏を抹殺しても「クリーンな政治」が実現するはずがないことは誰でもわかるでしょう。百歩譲って(もう何回も百歩譲りましたが、どれだけ譲ればいいのでしょう?)記載ミスを厳しく罰することでクリーンな政治が実現するとしても、すなわち政治と金の問題の主原因が「記載ミス」にあるとしても(そんなことがあるわけがありませんが)、それなら「政治資金規正法の罰則規定を変えよう」というのが正しい道筋でしょう。しかし、そういう動きも全くありません。つまり、検察やマスコミのオブジェクティブは「政治と金の問題をクリーンにすること」ではなく、「小沢一郎を葬り去ること」にある、と言わざるを得ない。完全にオブジェクティブをすり替えているのです。こういうことがまかり通るなら、権力者はいつでも司法とマスコミを使って気にくわない者を抹殺できることになる。まさに中世の魔女狩りの世界が現実に今の日本で行われているのです。

     いかがでしょうか。例を挙げればきりがありませんが、ここに挙げた直近の例だけを見ても、今の日本で当たり前の理屈がいかにないがしろにされているか、おわかりいただけたのではないでしょうか。このまま行けば間違いなく、日本は滅びに向かって盲進します。消費税を上げ、その金を福祉便乗者にばらまき、国内消費を落とし、原発を止め、国内産業を滅ぼし、石油を焚いて世界一高くなる電気を乱費し、一方でCO2による温暖化のデマに怯える・・・これらから生じる経済的矛盾はすべて、札を刷りインフレを起こし、円の暴落によって数字だけ輸出を伸ばすことでとりあえず辻褄を合わせればよい、民意様の溜飲は小沢を抹殺することで下げてもらおう・・・そんなことを平気で推し進めようとしている懲りない人々がいるのですから。

     私の主張はほとんどすべて、政治家やマスコミや民意様が言っていることと逆のことばかりですが、私の考えはいつも、「どうして?」という、ものすごくシンプルで基本的な疑問が出発点です。そして、原理原則に照らし合わせてロジカルに考えていくと、上述のような解にたどり着くのです。今回は、リーダーとしてプロブレムソルビングを使う際の私の判断基準をベースに考えてみましたが、ロジカルシンキング(理屈)できちんと考えていけば何も難しい話ではありません。すなわち、全体を見てオブジェクティブをきちんと設定し、問題が起こればロジカルにその原因を特定し、部分最適に囚われずに全体最適を最優先に手を打っていく。それだけで十分なのです。このHPの読者の中に、私の言うところの“懲りない(宗教的な)人々”がいないことを祈っています。あーっと、“祈る”と宗教になるか??

    (この回答は2012年2月6日に収録したものです)